2024/1/18

今日は午前中から横須賀で写真を撮るつもりで、それを満足に遂行可能な時刻に起床したのにも拘らず体が動かなくて時間を無為にした。身支度ができた頃には陽が落ちかけていて、もう横須賀は断念。新宿にでも行ってお散歩しようと思って(新宿までは3kmぐらい。最寄駅から6分ぐらいなので、普段のぼくからすると、精神的にも物理的にも近い、という扱いです)家を出さえはしたのだけれど、なんだかしんどくなってきて近くの自販機でモンスターを買って直帰。情けなくなってきたので、今日はずっと見たいと思っていた映画を見に行く日、であったことにしようと思い立つ。映画館で映画を見る、というのは素晴らしくて、今日みたいに適当に過ごしてしまった日にさえも、比較的容易に、重要な意義を付与してくれる。なんてったって、家を出て映画館に行きさえすれば、なにかしらの感情の機微を受け取ることが期待できるのだ。そんなにありがたいことがあっていいのだろうか。僕にとって映画は、あるとき、言うなれば、起床外出圧力になりうるのだ。で、1500円ほどの金銭を払ってチケットを予約するところまでは良かったのだけれど、途端に体調が悪くなり、ぐだぐだし始め、結局映画の上映時刻を自室のベッドで迎える、という顛末になった。ぼくは1人で映画を見に行くことすらできないのか、とひどく絶望した。今もしてる。みなさんは僕と友達になって、僕をこのしみったれた六畳一間から引っ張り出してください。

 

ぼくの暮らす街には、2024年現在、唯一残存している都電こと「都電荒川線」が通っていて、夕方の静かな時間帯にはよく汽笛の音が聴こえてくる。それがたまらなく侘しい。都電の汽笛の音を聴くと、いつも村上春樹の小説を思い出す。彼に憧れて志した大学に、あと0.021点届かなかったことや、彼自身はあの大学に対してややドライなところなんかが蕁麻疹のように思い起こされて、おれって受験のことでまだまだ悲しくなれるんだ、と驚く。

 

僕は写真を撮っていて、ただ撮り溜めていてもしゃーないわな、といった至極単純な理由をもって、それらをTwitterに投稿している。ここ最近はありがたいことに、数百件の反応をいただけることも増えてきて、「Twitterを開けばいつも通知ボタンに数字が表示されている」という日も少なくない。数年前にまさしく夢見ていたような現状に立っている。それもそれで虚しくて、いつも悲しい。

 

好きな人が確かにいたはず。

 

もう、僕には何にもできないんじゃないかと思う。実際はそんなことないってことも分かりながら、それでも自分の無能さ、無力さにおびえている。旅がしたい。ここにいたくないし、いられない。苦しい。お腹すいたし。部屋はとっ散らかっていて、明日もきっとそう。